【異国歩行の章】第四話 木の周りを回る歩み

須田は、夜明け前に目を覚ました。

東方街の朝は早い。
空が白み始めるころには、すでに人の動きがある。
商いの準備をする者、屋台を整える者、
そして――何もせず、ただ歩いている者もいる。

須田は宿を出て、朝の散歩に出た。
昨夜の出来事が、まだ身体のどこかに残っている。
水面を渡る足取り。
竹林を縫う動き。
夢だったとは、どうしても思えなかった。

繁華街を離れ、
人通りの少ない小さな公園に入ったときだった。

一本の小さな木のまわりを、
ゆっくりと歩いている老人が目に入った。

老人は、木に掌を向けたまま、
きれいな円を描くように歩いている。

(……回っている?)

ただそれだけの動きなのに、
なぜか目が離れなかった。

老人の歩みは遅い。
だが、止まってはいない。
足の運びは軽く、
地面を踏みしめるというより、
確かめるように、そっと置いている。

須田は、思い切って声をかけた。

「何をしているんですか?」

老人は足を止め、
須田の方を見て、にこりと笑った。

「健康法じゃよ」

そう言って、老人は木に手を触れた。

「木のまわりを回ると、
 自然界のエネルギーがわかる。
 それを、掌から吸収するんじゃ」

須田は首をかしげた。

「……力、ですか?」

「そうだ。
 天からは、空気を通して伝わり、
 地からは、土が応えてくる」

老人は、自分の足元を指さした。

「歩みというのはな、
 前へ進むためだけのものじゃない。
 足から、大地のエネルギーを取り入れるものじゃ」

須田は、その言葉に息をのんだ。

(足から……)

昨夜見た、水の上を渡る歩き。
あの男の足取りと、
目の前の老人の歩みが、
頭の中で重なった。

「……やってみるか?」

老人が、木のそばを空けた。

須田は一瞬ためらったが、
靴底を地面に下ろし、
木のまわりを歩き始めた。

円を描こうとすると、
すぐに足がぎこちなくなる。

「円を描こうとするな」

老人の声が、背中から届いた。

「木に集中しろ。
 慣れてくると、
 木の“向こう”が見えてくる」

須田は視線を木に向けたまま、
意識を足の裏へ落とした。

足は、平らに上げ、平らに下ろす。

足を着く直前、
足先をさらに伸ばし、
数センチ先へ、そっと置く。

体重は常に後ろ足に残す。
上半身は木の方へ、ゆるやかにねじり、
足先は円周に沿って進める。

須田は、言われた通りに動こうとした。

(……目が回るな)

「木の周りは八歩で一周じゃ。
 八周回ったら、向きを変えて逆回りに回れ。
 それを繰り返すだけでいい」

老人は、楽しげに言った。

「どうじゃ。
 身体に、元気が満ちてくるじゃろう?」

その夜、須田はまた夢を見た。

境界の里。
小さな木を中心に、
すずめ天狗たちが輪を描いて回っている。
それは歩みであり、
踊りのようにも見えた。

やがて、木はゆっくりと成長していく。

すずめ天狗たちは飛び上がり、
枝にとまった。

朝の鳥の鳴き声で、須田は目を覚ました。

苦笑いしながら、呟く。

「……この歩み。
 境界と、つながっているのか?」

公園に向かう事にした。