須田は、手紙の配達をすませ、遅い夕食と情報収集の為、飯店へ入った。
薄暗い店内には、酒と飯の匂いが混じり合い、木の床や柱がかすかに軋む音が響いていた。
一人の客として席についた須田は、すぐにあたりを見回す。
笑い声、酒瓶を回す手つき、箸の触れる音。どれも彼にとっては情報のひとつだった。
目に止まったのは、隣の卓で機嫌よく会話している男二人。
服装や所作から、彼らはこの街に根を張る商人か、旅の者のようだった。
須田は酒瓶を手に取り、自然な動作で男たちのテーブルに近づく。
「こちら、お飲みになりますか」
柔らかく差し出すと、男たちは少し驚きつつも、笑顔で受け取った。
須田が隣の卓で酒を勧めると、男たちは杯を受け取り、しばらく雑談を続けた。
話題は自然に、桃源郷や水面を歩いた男の噂に向かっていく。
「桃源郷って、知ってるか?」
須田が切り出すと、男のひとりが目を細め、少し夢見るように語った。
「もちろん聞いたことはあるさ」
「争いもなく、季節はいつも穏やかで、仙人のような者たちも住んでいる――誰も実際には行けないが、誰もが心に描く場所だ」
須田は静かに頷く。
「もう一つ聞きたい。水の上を歩いたり、木々の間を変幻自在に移動する術を知っているか?」
男は少し笑みを浮かべた。
「仙人伝説では円環掌という拳法があるらしい。東方には八卦掌という似た拳法もある。その伝説で語られる歩き方だな」
須田は得た情報を胸に刻みつつ、宿屋へ足を運んだ。
桃源郷――想像の中の楽園を思い浮かべながら、彼は床に就いた。
夜が深まり、夢のように漂う空気に包まれながら眠りに落ちると、ふと目を覚ますと、そこはてんぐ堂の中だった。
すずめ天狗たちは池に歩み寄っていく。
もしや。
池に足を踏み入れると、羽をバタバタさせ、体を小刻みに震わせた。
水が周囲に飛び散り、波紋が小さく広がる。
「バシャバシャバシャッ!」
まるで小さな嵐のように水しぶきを上げ、池の水面を小さく跳ねさせる。
満足げに体を振り、陸に上がると、羽についた水を勢いよく弾き飛ばす。
今のは水浴び?
次の瞬間、竹林の間で突然、鬼ごっこが始まった。
すずめ天狗は竹の隙間を縫うように走るが、時々竹にぶつかっては体をくねらせ、くるりと方向を変える。
須田はその姿に思わず吹き出した。
桃源郷とは全くちがうな。。。
須田は目を覚ました。
ふと考える。
桃源郷も、そして境界の里のてんぐ堂も、異界のはざまの境界の世界に存在する場所ではないのか。
そして、桃源郷と境界の里は、境界の中で行き来できる。
同じ空気感の世界だったから。
