出島を出る前夜、須田は一人で港町を歩いた。
翌朝には、西方人の一行とともに山へ向かう。
護衛と道案内。
そして――フォックスウォークを教わる約束。
だが須田にとって、本当に大事なのは歩きそのものだった。
酒場を出たあと、
須田は土地の者に声をかけ、
山道の様子を聞いて回った。
須田は注意点を一つ一つ、頭の中に置いていく。
道は地図ではない。
翌朝。
港を離れ、石畳を抜け、やがて土の道へ。
西方の四人と、その要人――
商人ギルドから依頼を受けた中年の鑑定士が荷馬車に乗っている。
目的は鉱山での原石鑑定だ。
隊列は整っていた。
前に立つのは戦士(ファイター)、バルド・グレイン。
盾を背負い、常に前を見る。
その隣に僧侶(クレリック)、エルナ・ミル。
僧衣の裾を押さえながら、周囲に目を配る。
薬袋を提げた魔女(ウィッチ)、リース・ヘッジ。
歩きながらも草木を観察している。
そして最後尾に、狩人(レンジャー)、ロビル・フット。
弓を背に、森と同じ気配で歩く男。
須田は隊列の中ほどに位置を取った。
歩きながら、観察する。
音が薄れるとき、ロビルの歩幅は狭い。
足を高く上げない。
膝は柔らかく、重心が上下しない。
接地は爪先から入る。
(……外からだ)
爪先の小指側から親指側へと静かに地面に触れ、
最後に踵をそっと着く。
音を殺す順。
後ろ足を抜くときも、
泥からそっと引き上げるように動く。
地面を蹴らない。
忍び歩きと同じだ。
須田は自らの歩きを重ねる。
上下動を消す。
歩幅は広がらない。むしろ、意図的に狭い。
腕もあまり振らない。
昼前、ぬかるんだ道に入った。
須田は自然に忍びの歩きになっていた。
隣を歩いていたロビルが、ちらりと見る。
「ほう」
短い声。
「学びが早いな、須田」
ロビルは小さく笑った。
「森ではな、音だけじゃない。振動もだ」
「大きな歩幅は目立つ。
重心が跳ねると、獣は逃げる」
須田は頷く。
昼過ぎ、無事に鉱山の入口へ到着した。
鑑定士は感心している。
「迷わなかったな」
バルドが笑う。
「この男の案内だからな」
ロビルは須田に向き直る。
「約束だ。待っている間、教えてやる」
二人は山の中へ少し入った。
ロビルが低く言う。
「森に入った瞬間、環境は壊れる」
「もとに戻るのに二十分ほどかかる。
それまでは動くな」
二人は立ち止まる。
やがて鳥の声が戻る。
虫の羽音。
遠くで小動物が走る気配。
「まず鳥が気づく。
それが伝播する」
「虫、両生類、爬虫類。
小さな哺乳類から、大型の獣まで」
「水面に波紋が広がるのと同じだ」
須田は静かに呼吸を整える。
波紋が収まるのを待つ。
「波紋が消えたら動け。
逆に、波紋を感じたら止まれ」
「なにかがある」
五感すべてを開く。
音。
匂い。
湿り気。
風の流れ。
土の温度。
「足音は消せない」
ロビルが言う。
「消すんじゃない。
不自然にしない」
「獣の歩きと同じリズムなら、
波紋は起きにくい」
須田は頷く。
帰路は順調だった。
夕暮れには出島へ戻る。
夜。
宿で目を閉じる。
夢を見る。
山道を、三寸坊が白狐にまたがって進む。
白狐の足取りは軽い。
音がない。
地に触れているのに、触れていないようだ。

三寸坊が振り返る。
「キ・ツ・ネ・あ・る・き」
目が覚める。
須田は、暗い天井を見つめながら、
小さく笑った。
―― 続く ――
