【異国歩行の章】第二話 水面を渡る者

牌楼(ぱいろう)をくぐった先は、
夜の東方街――
の、はずだった。

だが、そこにあったのは街道ではなかった。

獣道のような、細い道。
人が通った形跡はあるが、
店も家も見当たらない。

少し進むと、
霧はいつのまにか薄れ、

池とも、川ともつかない水面が広がっていた。
その向こうには竹林。
季節ではないはずなのに、
桃の花が静かに咲いている。

(……東方街に、こんな場所があっただろうか)

さらに奥を見ると、
村のようなものがあった。
はっきりとは見えないが、
明かりだけが、点々と浮かんでいる。

そのときだった。

人影がひとつ、
水面へ向かって歩いていくのが見えた。

痩せた体躯。
白く長い衣のすそが、
風もないのに、わずかに揺れている。

須田は、思わず足を止めた。

歩き方が、どこかおかしい。

忍び足に似ている。
だが、もっと力が抜けていて、
足音を消そうとしている様子がない。

(音を消しているんじゃない……
 最初から、音が出ない歩き方なのか?)

次の瞬間――

男は、水の上へ足を踏み出した。

沈まない。

須田は、思わず目を凝らした。
足の裏が水に沈む様子はない。
ただ、踏み出した場所に、
小さな波紋だけが広がっている。

(……乗っている? いや、違う)

どう説明していいのか分からない。
軽やかに歩み、
足を置いた水面に、かすかな波紋が残る。

男はそのまま、
何事もないように水面を渡りきり、
向こう岸の竹林へ入っていった。

次に見えたのは、
竹と竹のわずかな隙間を抜ける動きだった。

身体を伸ばし、
低く沈み、
上下動に加え、時に回り込みながら進んでいく。
かと思えば、急転換して方向をかえる。

速い。
だが、急いでいる感じがしない。
風が抜けるような動き。

(規則性がない、
 なんて変幻自在なんだ……)

須田は、ただ驚くばかりだ。

(……なんだあの歩き方)

そう思った瞬間、
竹林の奥で、
男の気配が、ふっと消えた。

その瞬間――

視界が、ぐらりと揺れた。

音が戻る。
人の声。
金属の触れ合う音。
香辛料と油の匂い。

気づくと須田は、
東方街の繁華街に立っていた。

提灯が揺れ、
店先には人が集まり、
昼間と変わらぬ賑わいが広がっている。

さっきまでの霧も、
水面も、
竹林もない。

周囲の誰も、
そんなものがあったとは思っていない顔をしている。

(……見間違い、じゃないよな)

須田は、小さく息を吐いた。

懐に入れていた手紙を確かめる。
確かに、ここへ来る途中だった。

須田は、
何事もなかったかのように、
配達先へ向かって歩き出した。