【水鏡の章】第六話 気の放出

池のほとりで動いているのは、
三寸坊でも黒い影でもなかった。

背丈は同じほど小さいが、
立ち姿にどこか地に足のついた重みがある。

青い着物。
手には十手。

池に向かって静かに立ち、
十手を振り上げ、上段の構えをとったまま
微動だにせず静止している。

やがて、
すう……と息を吸い込んだ。

空気が、わずかに張りつめる。

――静寂。

次の瞬間、

「エイッ!」

腹の底から響く短い気合とともに、
十手を振り下ろした。

ビシッ――

空気が裂けたような鋭い響き。

同時に、
池の水面がビリッと震え、
同心円の波紋が一気に広がった。

(いまのは……)

ただ振っただけではない。
いまの一撃には、“何か”が乗っていた。

すずめ天狗は、振り下ろした姿勢のまま静止している。

やがて、
広がった波紋がゆっくりとほどけ、
水面は再び静まりはじめた。

さざ波が消え、
池は鏡のような平らさを取り戻す。

その水面には、
丸い月が、くっきりと映っていた。

そのとき――

ひょい、と小さな影が現れる。
三寸坊だった。

月の光の中を、
軽い足取りで近づいてくる。

そして、静止したままのすずめ天狗に言った。

「平三、よい爆発の気合だ」

どこか嬉しそうな声。

だが平三は振り向かない。

その瞬間、
すうっと風が吹き抜けた。

ちりん……と軒下の風鈴の音が鳴る。
澄んだ音が、夜の空気に溶ける。

――パチッ。

須田ははっと目を開いた。

目の前には、囲炉裏の火。
小屋の土壁。
赤く燃える炭の匂い。

さっきまでの月も、池も、すずめ天狗の姿もない。

ただ、
火の揺れだけが静かにそこにあった。

三寸坊、平三、黒い影。
境界の里は、すずめ天狗の里なのか。

須田はしばらく動かず、
炎の奥を見つめていた。