朝起きると、
山伏と巫女が泊まった部屋で、すでに準備を始めていた。
三人とも、昨夜より少しだけ厳しい表情をしている。
部屋の中央には、水を張った桶。
その横に鉾鈴と、小さな弓と矢。
弦は細く、矢は短い。
儀式用のものだとすぐにわかった。
沙耶の腰には、
肩紐で吊るされた竹筒が揺れている。
普段はただの道具に見えたが、
今日はどこか“重み”があった。
須田は部屋の隅に立ち、そっと尋ねた。
「……見ていても、よいですか?」
権之助は手を止めずに言った。
「構わんよ。
ただし、声は出すな。
千波が“気”を読むからな」
千波は静かにうなずき、
沙耶はにこりと笑って「大丈夫ですよ」と目で合図した。
しばらくすると、庄屋の旦那が来た。
軽く事情を聞き、三人は儀式の配置につく。
沙耶は桶の正面に座り、合掌した。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
その呼吸に合わせて、肩の力が抜けていく。
千波は鉾鈴を持ち、音を立てずに構える。
権之助は小さな弓を手に取り、弦に指をかけた。
沙耶の呼吸がさらに深くなる。
やがて、身体がゆっくりと揺れ始めた。
前後に、左右に、風に揺れる草のように。
その揺れに合わせるように、
沙耶の腰の竹筒が コ……ン と小さく鳴った。
須田は思わず目を向けた。
竹筒の口から、
白い影がすっと抜け出した。
煙のようで、風のようで、
しかし確かに“生き物の気配”がある。
影は音もなく床を滑り、
桶の周りを回り始めた。
水面が、影に呼応するように揺れる。
沙耶の揺れが、ふっと止まった。

その瞬間、
沙耶の口がゆっくりと開いた。
口寄せが始まった。
沙耶の声が静かに途切れ、
権之助が弓を弾いて儀式を閉じた。
千波の鉾鈴が、最後にひとつだけ澄んだ音を立てる。
庄屋の旦那はしばらく言葉が出なかったが、
やがて深く頭を下げた。
「……妻の声、確かに聞きました。
本当に、ありがとうございました」
涙をぬぐいながら、
何度も礼を言って帰っていった。
片付けを終えると、権之助が言った。
「さて、俺たちは戸隠へ向かう。
須田、お前さんもそっちだろう?」
須田はうなずいた。
こうして四人は、
山の気配が濃くなる戸隠方面へ歩き出した。
