お堂には床がなかった。
土の上に薄い敷物があるだけで、
須田は壁に寄りかかるようにして眠ることにした。
外は静かで、風の音だけが聞こえる。
山の夜気は冷たく、どこか懐かしい匂いがした。
どれほど眠ったのか分からない。
ふいに、風の音が変わった。
ヒュウ……ヒュウ……
山の風ではない。
もっと高く、細く、どこかで聞いたことのある音。
須田は目を開けた。
そこは、もうお堂ではなかった。
土の床も、木の壁も消えている。
代わりに、淡い光が差し込む窓。
囲炉裏の前に座っていた。
――てんぐ堂だ。
すずめ天狗の気配はない。
須田は静かに外へ出てみた。
水鏡の池は穏やかで、波ひとつない。
鏡のように景色を映し、空気まで澄んでいるようだった。
腰を確かめると、鎖分銅が下がっている。
自然に、池のほとりで霞を打ち始めた。
十回、五十回、九十回、九十九回。
大きく深呼吸をして合掌し、
心を静める。
池の水面のように、心が乱れなく澄んだ瞬間――
すっと、手、足が前に出た。
鎖が伸びきる。
その瞬間、須田は左手を軽く締めた。
ガチっ――!
鋭い音とともに、腕が強く引かれた。
その衝撃は、まっすぐ下丹田まで伝わった。
まるで、鎖そのものが下丹田につながり、
振動が腹の底へ響き渡るようだった。
次の瞬間。
下丹田ごと引っこ抜かれるような感覚が走った。
須田の目に映ったものは。
伸びきった鎖の先――
分銅を、三寸坊が掴んでいた。

「……!」
須田は体勢を崩し、そのまま池へ落ちた。
冷たい水が全身を包む。
水面から顔を出そうとした瞬間――
須田は、もとのお堂で、土の上でもがいていた。
