
風のない夕暮れでした。
山の空気は静かで、葉の揺れる音さえ遠く、
世界がそっと息をひそめているような時間。
そのとき、古い山道の途中にある小さな鳥居に、
一羽のすずめ天狗が、ふわりと舞い降りました。
ことり、と木の上に軽い音。
それはただの止まり方ではなく、
「ここだよ」と印をつけるような、
静かな合図のようにも見えました。
――鳥居は、もともと
“鳥が居る木”と書きます。
はるか昔、
神さまはときどき鳥の姿になって
山から里へ降りてきた、と伝えられています。
そのとき神が羽を休めたのが、
神域の入口に立てられた鳥居だった、と。
つまり鳥居は
神がこの世に降り立つときの、
“止まり木”。
空と地のあいだにある、
ほんの一瞬の接点です。
その日、鳥居に止まったのは
大きな神さまではなく、
小さなすずめ天狗でした。
けれど境界に大きさは関係ありません。
気配が澄み、
呼吸が静かに整ったその瞬間、
鳥居のまわりの空気が
すうっと薄くなりました。
遠くの音が遠のき、
近くの気配が近づく。
見慣れた山道なのに、
どこか懐かしい、
夢の続きを歩いているような感覚。
それが、
境界の里へ続く“入口”です。
すずめ天狗は、
人を連れていくつもりはありません。
道を教えるつもりもありません。
ただ、止まるだけ。
鳥居の上に、
そっと止まるだけ。
けれど、
その姿を見た人の心に、
小さな“余白”が生まれたとき――
現世と異界のあいだに、
細い道があらわれます。
神が鳥となって降り立つように。
すずめ天狗が鳥居に止まるように。
境界は、
大きな奇跡ではなく
小さな兆しとして開くのです。
もし山の鳥居で、
すずめ天狗を見かけたなら。
追いかけず、
願いごともせず、
ただ静かに一度、呼吸をしてみてください。
そのときあなたの足元に、
もうひとつの里へ続く道が
そっと重なっているかもしれません。


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