てんぐ堂の朝は、いつもより少しだけそわそわしていた。
冬から春へ移り変わる前の日。
季節を分ける日――それが節分である。
里では朝から、こんな噂がささやかれていた。
「今年も“あの小鬼”が、すずめ天狗の大好物──“てんぐ米”を狙っているらしい」
すずめ天狗は、羽をふるふる震わせた。
てんぐ米は、てんぐ堂の奥座敷でひっそり備蓄されている特別な米。
炊きあがれば香りはふわり、噛めばほのかに甘い。
すずめ天狗にとっては宝物そのものだ。
「ま、まさか今年も来るのか……?」
来るのだ。毎年。
ただし現れるのは、角の生えた恐ろしい鬼ではない。
西方の里から境界を越えてやって来る、見習い小鬼――ゴブリンである。
去年は、米俵をひとつ持っていかれた。
一昨年は、必殺のつぶて術で追い払うことに成功した。
その前の年は、豆に驚いて転んだだけで逃げていった。
毎年同じ相手なのに、結果が違うのがまた厄介なのである。
鬼、しのび寄る
その夜。
てんぐ堂の裏手で
ガサ……ガサ……
と、近づく足音がした。
「やっぱり来た……!」
すずめ天狗は、そっと窓から覗いた。
……いた。
角はなく、背丈も小さい。
緑色の肌に、ひらりとした茶色のマント。
腰には小袋を下げ、きょろきょろと辺りをうかがっている。
見間違えようもない。
「西方の里の小鬼……ゴブリンめ」
すずめ天狗は急いで豆箱を抱えた。
この日のために用意しておいた炒り豆だ。
豆は「魔を滅する」からマメ。
昔からの言い伝えである。
豆まき、開戦
ゴブリンがそろりとお堂の扉を開けた瞬間──
「鬼は〜そとっ!」
すずめ天狗の渾身の豆が、ゴブリンの額にパシッと命中した。
「いってぇぇぇぇぇ!」
ゴブリンは大げさに転げ回る。
すずめ天狗は続けざまに豆を投げる。
「福は〜うち! 米は〜うち!」
「うぁぁぁ!」
豆は雨のように降り注ぎ、
ゴブリンは涙目のまま山の方へ一目散に逃げていった。

今年の結果は…
ゴブリンは、米を持たずに山へ逃げ帰った。
すずめ天狗は胸を張り、勝利宣言をする。
「ふふん。今年は“持たずに逃げる”年だったな!」
米俵の前で豆箱を抱えたまま、
満足そうに羽をパタパタさせるすずめ天狗。
節分の夜は、こうして静かに更けていった。
てんぐ堂の豆まきの話
日ノ本に伝わる「天狗つぶて」の不思議な現象は、
この節分の豆が、境界の里と現世がふと重なったときに
姿を変えて現れるものだとも言われている。
豆は魔を払うもの。
けれど同時に、季節を送り、福を迎えるためのしるしでもある。
だから今日もどこかで、
見えない誰かに向かって
小さな豆が、ひゅんっと飛んでいるのかもしれない。

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