須田は、夜明け前に目を覚ました。
東方街の朝は早い。
空が白み始めるころには、すでに人の動きがある。
商いの準備をする者、屋台を整える者、
そして――何もせず、ただ歩いている者もいる。
須田は宿を出て、朝の散歩に出た。
昨夜の出来事が、まだ身体のどこかに残っている。
水面を渡る足取り。
竹林を縫う動き。
夢だったとは、どうしても思えなかった。
繁華街を離れ、
人通りの少ない小さな公園に入ったときだった。
一本の小さな木のまわりを、
ゆっくりと歩いている老人が目に入った。
老人は、木に掌を向けたまま、
きれいな円を描くように歩いている。
(……回っている?)
ただそれだけの動きなのに、
なぜか目が離れなかった。
老人の歩みは遅い。
だが、止まってはいない。
足の運びは軽く、
地面を踏みしめるというより、
確かめるように、そっと置いている。
須田は、思い切って声をかけた。
「何をしているんですか?」
老人は足を止め、
須田の方を見て、にこりと笑った。
「健康法じゃよ」
そう言って、老人は木に手を触れた。
「木のまわりを回ると、
自然界のエネルギーがわかる。
それを、掌から吸収するんじゃ」
須田は首をかしげた。
「……力、ですか?」
「そうだ。
天からは、空気を通して伝わり、
地からは、土が応えてくる」
老人は、自分の足元を指さした。
「歩みというのはな、
前へ進むためだけのものじゃない。
足から、大地のエネルギーを取り入れるものじゃ」
須田は、その言葉に息をのんだ。
(足から……)
昨夜見た、水の上を渡る歩き。
あの男の足取りと、
目の前の老人の歩みが、
頭の中で重なった。
「……やってみるか?」
老人が、木のそばを空けた。
須田は一瞬ためらったが、
靴底を地面に下ろし、
木のまわりを歩き始めた。
円を描こうとすると、
すぐに足がぎこちなくなる。
「円を描こうとするな」
老人の声が、背中から届いた。
「木に集中しろ。
慣れてくると、
木の“向こう”が見えてくる」
須田は視線を木に向けたまま、
意識を足の裏へ落とした。
足は、平らに上げ、平らに下ろす。
足を着く直前、
足先をさらに伸ばし、
数センチ先へ、そっと置く。
体重は常に後ろ足に残す。
上半身は木の方へ、ゆるやかにねじり、
足先は円周に沿って進める。
須田は、言われた通りに動こうとした。
(……目が回るな)
「木の周りは八歩で一周じゃ。
八周回ったら、向きを変えて逆回りに回れ。
それを繰り返すだけでいい」
老人は、楽しげに言った。
「どうじゃ。
身体に、元気が満ちてくるじゃろう?」
その夜、須田はまた夢を見た。
境界の里。
小さな木を中心に、
すずめ天狗たちが輪を描いて回っている。
それは歩みであり、
踊りのようにも見えた。
やがて、木はゆっくりと成長していく。
すずめ天狗たちは飛び上がり、
枝にとまった。
朝の鳥の鳴き声で、須田は目を覚ました。
苦笑いしながら、呟く。
「……この歩み。
境界と、つながっているのか?」
公園に向かう事にした。
