【異国歩行の章】第一話 霧の門

須田が東方街へ向かう途中、
いつのまにか辺りに霧が立ちこめていた。

さっきまで見えていたはずの通りは消え、
人の声も、荷を引く車の音も、
遠くへ溶けていく。

足音だけが、やけに大きく響いた。

須田がくらす日ノ本には、
昔からそう呼ばれている区分がある。

交易を担う西方。
海の向こうから、人と物がやってくる土地だ。
魔法と呼ばれる、不思議な術を使う者がいるとも言われている。

西方の者たちは、
港に隣接した小さな島――
橋を架けて行き来できる「出島」と呼ばれる場所に集まる。
そこで交易が行われ、
彼らは一定の時を過ごすと、また海の向こうへ帰っていく。

一方、東方。

山と水を尊び、
「気」の巡りを暮らしに溶け込ませてきた世界。

遠い昔、
渡来の民がこの島に辿り着き、
小さな町をつくった。
それが、東方街の始まりだと聞いている。

今も東方とは定期的に行き来があり、
人と文化は、ゆっくりと混ざり続けている。

異国の匂いは濃いが、
今ではすっかり、
日ノ本の一部として溶け込んでいる場所だ。

須田が向かっていたのは、その東方街だった。

だが、
霧の中で、道の輪郭が曖昧になっていく。

一歩進むたびに、
世界が少しずつ遠のいていくような感覚。

その霧の奥に、
ふいに門が現れた。

牌楼(ぱいろう)だった。

町に入るための、東方の門。
鳥居にも似た形をした建造物だ。

古びた朱の柱。
時を経た石の台座。

灯りを受けて、
柱の上に刻まれた文字が、
かすかに浮かび上がった。

――桃源郷

須田は足を止めた。

東方街に、
こんな門があっただろうか。

記憶を探っても、思い当たらない。
だが不思議と、恐れはなかった。

胸の奥で、
水面が静まるような感覚が広がる。

(……ここも、境界か)

そう思った瞬間、
霧が、わずかに流れを変えた。

空気が、一気に変わる。

知らないとも、
懐かしいとも言い切れない気配が、
背中をそっと押した。

須田は、
そのまま前へ進んでいった。