須田は、忍びの道場で身体を鍛え、水の道場で気配を読む修行を重ねてきた。
この山は、そのすべての基礎となった場所でもある。
水の道場へ向かう山道を歩きながら、
須田は、さっきの出来事を思い返していた。
小さな天狗。
三寸坊。
夢だったのか、
本当にどこかで迷い込んだのか、
はっきりしない。
けれど、不思議と恐さはなかった。
胸の奥に、何かを見落としているような感覚だけが残っていた。
ふと、腰に下げた鎖分銅が小さく鳴った。
カシャ、と乾いた音。
その音を聞いた瞬間、須田はふと、数年前の稽古を思い出した。
鎖分銅は、風の道場で扱う武器のひとつだ。
風の道場は、武術の基礎となる“身体操作”から始まり、
体術、そして武器術へと段階的に進む道場である。
歩行や立ち方、日常の動きもすべて同じ身体の使い方で統一し、
どんな状況でも無理なく技が出せる体をつくることを目的としている。
この身体操作は独特で、
丹田を中心に気を巡らせ、
体の軸をぶらさずに動くという考え方で説明される。
須田はまだその感覚をつかみきれていなかった。
鎖分銅はその中でも扱いが難しく、
鎖のしなりと分銅の重さを正確に感じ取らなければならない。
須田はまだ初心者で、うまく扱えないことが多い。
その音で、別の記憶が浮かび上がる。
――風の道場での稽古。
あのときも、動きがどうにも噛み合わなかった。
形は覚えている。
順番も間違えていない。
それなのに、
踏み出すと、重い。
振り出すと、遅れる。
「……違うな」
何が違うのかは言えない。
でも、体だけが「これじゃない」と訴えてくる。
稽古のあと、疲れた体のまま眠りに落ちた夜のことだった。
夢を見た。
山の中の、どこかの広場。
風が静かに抜けていく、不思議な場所だった。
そこで三寸坊が、
見たことのない武器を振り回していた。
細い鎖。
その先に、小さな分銅。
須田は思った。
(なんだ、あれは)
剣でも、棒でもない。
紐のように見えるが、シャリ、シャリと乾いた音がする。
三寸坊はそれを軽々と振り回している。
鎖は伸びたり縮んだりするように見え、
手の中に消えたかと思えば、
次の瞬間には別の角度から現れる。
まるで、武器そのものが姿を変えているようだった。
「めずらしい武器だな……」
須田は夢の中で、ただ見ていた。
すると、いつの間にか自分の手にも鎖があった。
見よう見まねで振ってみる。
――難しい。
思うように振り回せない。
鎖の動きが読めず、分銅が自分の体にぶつかりそうになる。
三寸坊は軽々と扱っているのに、
須田の手の中では、ただの暴れる重りだった。
三寸坊は、そんな須田を見て、
うまくいっているのかいないのか分からない顔でうなずいた。
「うむ」
それから自分もまた鎖を振り回し、
くるくると動き続ける。
そのときだった。
三寸坊の手から、鎖がすっと抜けた。
分銅が弧を描いて飛んでいき、
――ぽちゃん。
あれほど見事に振り回していたのに、
どこか抜けているところがあるのが三寸坊らしかった。
その音で、須田は目を覚ました。
暗い部屋の天井。
外では、風の音がしている。
右腕に、まだ何かを振っていた感覚だけが残っていた。
翌日。
理由は分からないまま、
須田は初めて鎖分銅を手に取った。
夢で見た長さを思い出しながら選び、
見よう見まねで振ってみる。
当然、うまくいかない。
絡まり、引かれ、体勢を崩す。
それでも、あの夢の動きだけは、
体の奥に残っていた。
それ以来、須田は少しずつ鎖分銅を稽古するようになった。
山道でも音がしないように腰に下げる。
カシャ。
須田は鎖分銅の位置を整えた。
水の道場へ向かって歩いていた。
まだ、あの水音の意味も知らないまま。

