正木流萬力鎖術

正木流萬力鎖術(まさきりゅうまんりきくさりじゅつ)は、正木利充により、宝暦年間(1750年代)創始された。鎖の両端に短冊状の分銅を付けた全長2尺3寸程の萬力鎖を使用し、打ち・絡み・投げを含む技法により構成された武術である(別名:鎖術・玉鎖術・鎖十手術・両分銅術・分銅鎖術等)。鎖術発創の経緯は二説あり、ひとつは「大垣藩が江戸城大手門の警備を命ぜられた事に端を発する。利充は、大手門警備中に不意に乱心者が来た場合の対処に腐心し、刀により門前を血で汚す事なく制圧出来る術として萬力鎖術を考案した」(『撃剣叢談』)。また もうひとつは、大垣に伝わるもので「利充が60余歳の頃、秋葉権現の霊夢を得て案出した」とある(『武功論』)

正木流万力鎖術に興味ある方は「正木流中島派鎖術保存会」についても参照ください。


秋葉山三尺坊

秋葉山に住む天狗で四十八天狗。飯綱系の天狗(飯縄権現と秋葉山三尺坊)で小天狗といわれる烏天狗の姿をしている。 小天狗は通常、大天狗である鼻高天狗より位が低いあつかいであるが、四十八天狗は鼻高天狗と同等である。
静岡県秋葉山にある秋葉寺の伝承によれば信州戸隠生まれの修験者で、4歳のときに越前蔵王権現堂(新潟県栃尾)に修行に出で、26歳のときに大阿闍梨となって自らの住まいを三尺坊と名付け、27歳のときに不動三昧の秘法を修して迦楼羅の姿に変身しました。三尺坊は白狐に乗って諸国を巡り、大同四年(809)に秋葉山に降り立つ。