第四話 静けさを失った瞬間

水の道場の裏には、竹林がある。
風が細く通る、少し薄暗い場所だ。

須田には、前から気になっていることがあった。

頭目が、ときどき一人で竹林へ行き、
何かをしているのだ。

ある日、稽古の合間にその姿を見かけた。

白い粒。
米をまいている。

(なんで、こんなところに……)

聞こうか迷ったが、やめた。
頭目は説明しないことが多い。

その日の夕方。
須田はひとりで竹林へ向かった。

理由は、自分でもはっきりしない。
ただ、気になったのだ。

竹の影の向こう、
地面がかすかに動いた。

小さな野ネズミが、
落ちた米をかじっている。

須田は足を止めた。

(……気配)

昨日、池で言われたことがよぎる。

――歩くのではない。
――ただ、存在を無くして進め。

須田はゆっくり呼吸を整えた。

気配を消そうとは思わない。
ただ、静かに歩く。

足裏をそっと置く。
地面を押さない。
体を運ぶ。

竹の葉がかすかに揺れる音だけがする。

一歩。
ネズミは気づかない。

二歩。
まだ食べている。

三歩。
距離が、ずいぶん近い。

(……いける)

そう思った瞬間だった。

ネズミの耳がぴくりと動いた。

くるりとこちらを見たかと思うと、
次の瞬間には草の中へ消えていった。

静まり返る竹林。

須田は、そこで立ち止まった。

足音は立てていない。
呼吸も荒れていない。

なのに、逃げられた。

(いける、って思った)

そのとき、
何かが前に出た気がした。

自分の体ではなく、
思いの波長が。

須田は小さく息を吐いた。
考えただけで、伝わるのか。

「……まだまだか」

竹の上で、葉が揺れた。

見上げると、
小さなすずめが一羽、枝の上で跳ねている。

その姿を見た瞬間、
須田の脳裏にすずめ天狗がよぎった。

頭目が竹林に米をまく理由。
もしかして、すずめ天狗を知っているのか……。

チュン、と鳴いて、
すずめはすぐに飛び去った。

須田はしばらくその場に立ち、
それから静かに道場へ戻っていった。